2019 Novembre

 

 
 
 
久しぶりに早稲田教会の礼拝に出席、美しいスコットホールで賛美歌を歌う清々しい朝。早稲田奉仕園は1908年にH・Bベニンホフにより創立され、1918年にアトランタで開かれた米国北部バプテスト総会でこの事業に賛同されたJ・Eスコット夫人(1852-1936)の寄付により1922年に竣工、献堂式が行われスコットホールと名付けられたそう。子供の頃から通っている教会のオリジンを初めて知る・・・。

 

 

 
 
地下の美しい展示室を見学、このホールの歴史を学ぶ。ベニンホフと親交があったイギリス人の建築家ヴォーリス(1880−1964)の設計原案に基ずき、「耐震構造の父」と言われ東京タワーの設計者としても知られる早稲田大学の内藤多仲教授研究室が施工管理を。皇居の桃華楽堂などの作品を残した日本を代表するクリスチャンの建築家の今井兼次助教授が担当者となり、「当代随一のレンガ積みの名手」と言われた竹田米吉店が施工を請け負った。つまり当時の「粋を集めた」建築であったのだ・・・。同じ敷地内にあるキリスト教主義の学生寮「友愛学舎」はアントニン・レーモンドの設計である。

 

 

   
 
 
 
 
今年も学園祭のシーズン、久しぶりにお会いする主人のゼミの学生さん達とお喋りしながら模擬店の綿あめをほおばる。建築やプロダクトなど各研究室の展示を興味深く拝見、プロダクトの演習テーマ「アクリルの名刺入れ」は毎年楽しみにしている恒例の課題。子供の情操教育やモノ作りのワークショップも楽しそうで思わず参加したくなる。

 

 

 
 
文化の日の今日、お天気にも恵まれ大変な人混みの銀座。パリに着いた頃から30余年、長いお付き合いの朝比奈斌氏の個展に伺う。パリの日常のさりげない光景、カフェやセーヌ河岸が独特の画風で描き出されたタブローが並ぶギャラリー、まるでパリの街中に居るような気分に。深々とパリに帰りたくなる。

 

 

 
 
木々が少しずつ色ずき始める軽井沢、紅葉に包まれた脇田美術館で「脇田和展 南へ、鳥たちの歌が聞こえる」を拝見する。生前、お親しくさせて頂いていた脇田先生。70歳を過ぎてからハワイで心臓の手術を受けられた後も時折ハワイに滞在され、創作活動は衰える事がなかったという。1970年にその居を軽井沢に移されてから晩年までの110点にも及ぶ作品たち。軽やかで穏やかな画風に癒され、美しいお庭でお茶を頂く夢のような時間。

 

 

 
 
 
パルコ創業50周年記念「PARCOポスター展」、1Fから7Fまでの階段に歴代のパルコ広告ポスターが一挙に展示されている。各々の作品にクレジットがないので誰がいつ制作した判らないのは残念。その中でも石岡瑛子氏の手掛けた作品は一目見てわかる存在感、ハーブ・リッツの撮影による浅野温子のポスター「「はじめは恋、あとで愛」・・・、モデルやコピーも時代を感じる。大好きだったイラストレーター、ペーター佐藤のイラストも懐かしい。

 

 

 
 
 
 
ポンピドーセンターで「文字で見るフランシス・ベーコン -Francis Bacon en toutes lettres」展を見る。1971年から1992年までの作品がベーコンの創作に影響を与えた詩人や哲学・思想の作家、アイスキュロス、ニーチェ、バタイユ、レリス、コンラッド、エリオットと6人の作品を軸に6つのカテゴリーに分けて展示されている。俳優によるその詩や文学の朗読と併せてタブローを見るベーコンの世界。「偉大な詩人の言葉は私にとって必要不可欠なイメージの鍵となり、イマジネーションの扉を開く」、詩・ポエムが文化として深く根ついているフランスのアーティストらしいベーコンの言葉。

 

 

   
 
 
1986年にシャルル・マトンによって制作された埃まみれの雑然としたアトリエのミニチュア、ベーコンがキャンバスに独特な質感を与えるためこの埃を使っていたとか。「埃だけが永遠なもの、永遠なモノは埃だけだ」と・・・。 民間空襲警備員として働いていたベーコンは多くの死体を目にしたことが作品に少なからず影響を与えていると言う。平日の夜、大変な混雑にその人気のほどを知る。

 

 

 
 
ポンピドーセンターで「クリスチャン・ボルタンスキー Faire son temps 自身の時を作る」展を見る。1984年のポンピドーセンターでの初個展から35年、タイトルの通り「時」の意味、そして思想を作家自身が選んだ50点の作品が物語る。

 

 

 
   
 
 
   
 
 
 
expo index 80年代の個々のモチーフを集めた「記憶」「存在 不在」、その後の大掛かりな装置による「死」をイメージするインスタレーションの数々。2000uのスペースに広がる「depart-出発」に始まり「arrivee-到着」に終わる本人による会場構成は、ボルタンスキーの半世紀にわたる創作の「時」の流れのよう。人は必ず死を迎えその先には何があるのか・・・、自分の時間をどのように生きるのか・・・、という不変の問いを示唆する作品に圧倒される。 page top

 

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